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地獄変 完結編

いままで2回、物事に対する取り組み方や姿勢、才能ということについて書いてきたつもりですが、内容がはっきりと伝わりにくいようでしたのでもう一度このテーマについて書いて、完結とさせてもらいます。

でもあくまでもこれは、それ以上を望む人だけに伝えたいことなので、全員に対して書いたわけではありません。でもそういうものの考え方があるということだけでも知っていて損をすることはないと思います。

私自身「格闘技は楽しんでやるものだ」と思ってやっている人間だと思われがちですが、そんな気持ちは全く微塵もありません。これっぽっちもありません。

自分がやっているときに試合は「死合い」ぐらいに思っていました。試合当日後楽園ホールに向かうときはもうここには戻らないかもしれないと思って、アパートを掃除して身の回りのものをきれいにしてから出かけていました。

たまたま手には真剣じゃなくてグローブをつけてるだけだと思ってました。
途中からルールがグローブじゃなくて真剣に変わってそれで相手を切っても罪にならないと言われれば、即刀を抜く覚悟で望んでいました。

それなので今でも柔術の大会には出場しますが、自分が格闘技の現役の選手だという感覚は全くないし、思ったこともありません。

うちのGymも現在120名程会員がおり、格闘技をスポーツや趣味として出来ることになったことは大変すばらしいことだと思います。これからもっとそうなっていって欲しいと心底思います。

なんべんも言いますが今書いていることを伝えたいのはそれ以上を望む人だけです。

前にレスリングの先生がうちのGymに来てたくさんの会員がいて練習しているのを見てこんなことを言いました。
「へーこの人達みんな趣味でやってるんだ。おれの時代には格闘技を趣味でやるなんて考えられなかったよ。」

本当はそういうものなんです。

物事を楽しんでやる。これは大事なことです。

でもそれを、K-1に出てる 武田幸三や山本KIDに面度向かって言えますか?
ゴッホは自分の全てを捧げて描いた絵が生きている間には1枚だって売れませんでした。最後には気が狂って死にました。

自分の全てを捧げても神様はこちらを向いてはくれません。

そんな簡単じゃないはずだ。

それ以上を望む人は、そんな覚悟を持ってください。

真剣になって下さい。

じゃなきゃやめて下さい。

幕末の志士はそんな覚悟を持って生きていたはずです。だから私は香取慎吾の新撰組は見ません。

もう一度言いますが、今書いていることを伝えたいのはそれ以上を望む人だけです。

*世の中にはいろんな人がいるので、こういう書き方をして誤解を受けないか少し心配です・・・・。

最後にその2で書いた宮沢賢治の詩の抜粋をもう一度書きます。
今までに書いたこと総てをふまえて、もう一度読んで下さい。
(原文はもっと長いです)

告別

すべての才や力や材というものは
ひとにとどまるものでない
ひとさえひとにとどまらぬ

おまえのちからがにぶり
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもう見ない

なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけているような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ

みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら

いいかおまえはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい

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