「道楽」 道を楽しむと書きます。
この言葉は現在では家を食い潰すとか、悪い意味合いが強いですが、逆に考えれば経済的観念が必要ないんですから純粋に理想だけを追求出来ます。
前回不安定の中にこそ安定があると書きました。
誰しも理想と現実の狭間というバランスの中で安定を得ています。
でも「道楽」であれば、現実の世界(経済)を考える必要はありません。
純粋に理想だけを追求出来ます。
こう考えると「道楽」ってすばらしいです。
今の世知辛い世の中ではなかなか出会えません。
「極楽」 楽の極みと書きます。
でも現実の世界には存在しません。と思っていましたが、存在していました。
極楽って天国という意味もありますから、最上級であるという意味合いが強いと思います。自分の体験と照らし合わせると、マッサージを受けていてまどろみの中で寝てしまう。これがずうっと続いている状態。これなのかな?と思います。
最高に気持ちいいです。
この状態は言い換えれば、何も考えてないし、なにも考えられない状態です。
自我が存在しないということです。
極楽とは極楽という名の「地獄」です。
前に小学校の校長先生からこんな話を聞きました。
最近では雨が降ると小学校の正門の前に子供を送る車の行列が出来るそうです。
子供も雨の中を自分の足で歩いてくれば、いろいろと考えるはずです。
靴下が濡れるから靴下をもう一足持っていこうとか。
濡れた靴下をそのまま鞄に入れると教科書が濡れるから、ビニール袋を持っていこうとか。
いろいろと考えるはずです。
でも車で送り迎えしてもらっている子供には、考える必要がありません。
親が考える機会を子供から奪っているのです。
そこには自我が存在しません。
まさしく極楽です。
極楽という名の地獄です。
最近の子供を見ているといつもそんなことを感じます。
考える機会を奪われている子供。それが子供のためだと思い込んでる親。
学校や家の中にはあっても、現実の「社会」には極楽は存在しません。
考えるということは習慣です。
極楽という名の地獄の中で育った子供が成人し、突然社会に出された時、考えることが出来るのでしょうか?
