私は18歳の頃木口道場の先輩に
その歳にはその歳でやっておかなければいけないことがある。
と言われました。
その時確かにそうだと思いました。
最近では
その歳ではその歳でやってはいけないこともある
のかなと思います。
スクールの語源は「暇」です。
野球やサッカー、ゴルフにテニスにラグビー皆、暇なイギリス貴族が造ったものです。
若いうちから明日のご飯のことばかり考えるのもどうなんでしょう?
負荷は必要です。
あまえは何も生みません。
でもそのことばかり考えてると、ただそれだけの人になってしまうような気がします。
人それぞれだからいいのですが、残念なのは可能性のある人が
宮沢賢治の詩と同じで
5年の間に大抵それをなくします。
でも結果すごい才能があるように見えても、出来なかった人は最初から才能なんか全くなかったんでしょう。
勉強しても使わなかったら勉強しなかったのと同じ、才能があってもやり遂げられなかったら才能がないのと同じ、人物に出会っても学ばなければ出会わなかったのと同じ。
最初から可能性のない人はべつに何をしてもらってもかまいません。
適当にやっていて下さい。
みんなが町で暮したり一日あそんでいるときに
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
もしも楽器がなかったら光で出来たパイプオルガンで弾くがいい
以上
以下は今まで何度も出てきている宮沢賢治の詩「告別」です。
以上の文章を読んでから抜粋ですが読み返していただければ幸いです。
告別 (宮沢賢治著「春と修羅」第二集 抜粋)
おまえのバス(楽器の名前)の三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
そのたのしさは おれを草葉のようにふるわせた
もしもおまえがそれらの音を自由にいつでも使えるならば
おまえはかがやく天の仕事もするだろう
けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけずられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材というものは
ひとにとどまるものでない
ひとさえひとにとどまらぬ
おまえのちからがにぶり
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもう見ない
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
