格闘技でも会社でもスポーツ全般にもいえますが、昇級というのがあります。
柔術で言えば帯が上がるとか、会社では上のポストに就くとか、ボクシングなら世界戦に挑戦するとか、プロ野球のエースになるとかいろいろあります。
スポーツに限って言うとルールの中に昇級の条件としてどこにも「人格」のことは書かれていません。
昇級するのに面接とか無いです。
しかも強さと人格は残念ながら全く関係がありません。
以前ニュースでこんなのがありました。
ある外食産業のチエーン店でそこの店長が閉店間際に来た女性のお客さんに乱暴を働いたそうです。
だれも他に人がいないことにつけ込んでシャッターを閉めて、犯行に及んだそうです。
よくよく聞いていくとその店長は入社して1月半しか経っていなかったそうです。
会社が、一月半でもその人がマニュアルに従って売り上げを維持していくだけの能力があると判断したのだと思います。
会社も遊びでやっているわけではないし、投資したら投資した分だけ元を取りたいというのが人情ですから、そういった能力だけとれば間違いではないのかもしれません。
でもあまりにも育つまでの期間が短すぎます。
これはこういった会社だけの問題ではなく世の中全体、そしてスポーツ全般にもいえると思います。
重ね重ね言いますがどのスポーツのどのルールを見ても上に上がるのに「人格」のことは書いてありません。
だからこそ対策として「簡単に上には上げない」ということが重要だと思います。
勝ち上がりさえすれば何であろうと世界戦にも挑戦出来ます。ルールにも違反していません。でも本当にそれでいいのかよく考えた方がいいと思います。
柔術もその帯で優勝しさえすれば上の帯にあがれます。ルールにも違反していません。でも本当にそれでいいのかよく考えた方がいいと思います。
修斗も登録しさえすれば誰でも出場出来ます。そして勝ち上がっていけば誰でも世界チャンピオンになれます。ルールにも違反していません。でも本当にそれでいいのかよく考えた方がいいと思います。
別に誰かのことを批判しているわけではありません。
GYMにも貼ってありますが、修斗には理念があります。私は理念があり理念に元付いて行われている修斗が好きです。
「打て」という“打”ではなく、
「投げろ」という“投”ではなく、
「極めろ」という“極”ではない。
また単に打・投・極を総合的に
闘えばいいというものでもない。
自然の流れにのった技術がとぎれなく連係し、
なめらかに回転することが修斗の姿である。
そして闘いを修めていく修斗の思想が、
競技者を人格的に正しく導く。
それこそが修斗の理念である。
礼に始まり、礼に終わる。
礼の姿勢こそ修斗の基本姿勢であり、
自然に礼を発せられることが、
修斗体得への第一歩である。
ここに書いてある理念は、修斗だけのことではなくだいだい物事全般にいえることだと思います。
でも言うは易し、行うは難し。
だから大事なことは「簡単に上に上げない」と言うことだと思います。
先日の柔術の大会で成績を残した磯部師範と渡辺さんが青帯になりました。
磯部師範は少し長過ぎかもしれませんがGYM創設から今まで時間をかけてやっと青帯になりました。
渡辺さんも一度退会しまた戻ってきて休んでいる間も入れると5年?くらいかかっているかもしれません。
昇級おめでとうございます。
