「聖人は和して同せず、
小人は同して和せず」
孔子の言葉です。
(人格の高い人は和を大事にするけど仲良しごっこはしない、そうでもない人はそういうことがわからなくて仲良しクラブはするけどそこには、なんと目標も徳も共通意識もない)と孔子先生がいいました。
今年になってからGYMを基本から見つめ直そうと思ってやっています。
GYMも6年半ほどやってきましたが、元々好きで始めたモノですがやってきて自分自身が何か面白くないなと感じることがありました。
何でだろうと考えたときに自分が思っていたモノとは違う方向にGYMが行っていたからだと気が付きました。
Hpには「格闘技を楽しもう」「誰でも出来るし、全ての人のよりどころになりたい」と書いてあり今でもそう思っていますが、それが悪い方にいきKO道場じゃなくて、KOスポーツジムになってきていました。
うまくいえませんが以前は、例えば練習の途中参加も帰宅も自由、私語も自由と書いていますがそれを悪い意味でまに受ける人がいました。スポーツジムのエアロビのクラスでも始まって10分経ったら入室出来ないし、途中で帰る人も見たことがありません。
「和」というものは大切だと思います。
聖徳太子が作った17条の憲法?にもたしか?第1条に「和をもって尊しとなす」とあります。
「和」とは会ったらおしゃべりしたり一緒に遊びに行ったりする友達を作ることとは違うと思います。
私はGYMでは指導しなるべくコミニュケーションをとるようにしていますが、逆にGYMの外では極力とらないようにしています。
選手には外でのみに行ったりしなくていいから、友達にならなくていいから仲間になりなさいと言っています。
GYMの立石さんがこの間うれしいことを言ってくれました。
立石さんは高校生の息子さんとK.O.SHOOTO GYMに通ってくれています。
「息子は中学の時は部活で圏の上位まで行くチームにいたけど、高校になったら仲良しクラブで疎外感を感じたけど、GYMは皆が目標に向かっていく気持ちを持ってやっているからいい」と言ってくれました。
そういう風にみてもらえていたことがうれしかったです。
切磋琢磨という言葉がありますが、磨きあうという意味の言葉ですが石一つだけじゃ磨きあえません。
別に全員にプロになれと言っているわけではないし、それぞれが自分の全力を出せればそれでいいと思っています。
KOコラムの最初の頃に「うちのGYMに入ってくる多くの人は格闘技に興味のない人です」と書きましたが、確かにそのときはそうだったかもしれませんが、今はすごくいい仲間で出来ていると思います。
この間雑誌を読んでいたらある有名な選手がGYMを開いたけど入会を断っているとありました。
何となく入ったりした人がいると雰囲気が壊れるからとありました。
私も人の子なので進学のことを考えると、いい学校って何だろうと考えます。
それって入学の段階で「変な人を入れない」ということじゃないかなと思います。
会社でも全く仕事に興味が無くて楽して早く帰ろうとしている人がいますが、そんな人が一人いるだけで周りの環境がおかしくなっていきます。
「入れない」というと言い過ぎかもしれませんが、周りの人がその人をよくして、それでもダメならその人は自分からいなくなると思います。
学校でも夏休みには誰かいなくなっていました。
今年から人知れず改革していき、いい感じになってきました。
そのおかげで自分が少し幸せになれました。
でもやはり気になるのは「和して同せず」という部分です。
私が所属していた「木口道場」はプロしかいない少ない人数で練習していたけど、とんでもなく強い選手が次々出てくる異常な道場でしたが、仲間意識はすごく強かったと思います。
今はみんなバラバラだけど仲間です。
練習しているし来る時間や帰る時間も違うので、ほとんど会話することもありませんがお互い練習し、試合も必ず行きセコンドにもつきました。
GYMをはじめてから試合にセコンドで行きますが、ほとんど私と試合に出る人という構成のような気がします。
自分が出なければ試合には行かない。
他の仲間の試合があろうがなかろうが、練習も来たいときだけ来て自分の練習だけして帰る。
自分が何を目標としてやっているか考えたときに、チャンピオンを出したいのか?五味みたいな選手が出せればそれが最高に幸せなのか?考えたときに、誰かに勝つとか一番になるとかを目指しても何か喜べないなと思いました。
強いって何だろう?と思います。
自分さえよければそれでいいそんな人がチャンピオンになっても全然喜べません。
競技で強いということと人格は全く関係ありません。
人格がめちゃくちゃでも、成功している人はたくさんいます。
教えるということは全く逆です。
人格です。強さは10番目くらいです。
スター選手がいきなり指導者になったら習う人は大変です。
その選手が指導者になるまでスター選手になったのと同じだけ時間がかかります。
その間ずっと選手は我慢しなければいけないということですか?
どの先生もいうありきたりのことですが、自分が目標としたり幸せだなと感じるのは「人間を育てる」ということだと最近思います。
ここまでマイナスのことも書きましたがそれも全部自分が教育してこなかった責任です。
選手を教育していき、その選手がその課程の中で出来なかったことが出来るようになったり、試合に出て勝ったり悔しい思いをしたり、ひょっとしたら一番になれたり、そういう感動を共有出来たら幸せかなと思います。
もう一度書きますが
子曰く「聖人は和して同せず、小人は同して和せず」
そんな人を格闘技を通して育てていければ自分が一番最初に幸せになれるかなと最近思います。